アニマルウェルフェアとは、動物が不必要な苦痛やストレスを感じることなく喜びに満ち健康で幸福に生きることを目指す考え方です。特に畜産業においては、動物の生活環境や取り扱い方法の改善が求められています。本記事では、アニマルウェルフェアの基本理念である「5つの自由」を詳しく解説するとともに、日本におけるアニマルウェルフェアの現状と、他国と比較してなぜ遅れを取っているのかについて探っていきます。
アニマルウェルフェアとは
アニマルウェルフェア“Animal Welfare”とは、「動物福祉」と訳され、科学的知見に基づき、人間と共に生きる動物たちが不必要なストレスになく喜びに満ち、健康で幸福な生活を送ることを目指すことです。特に、動物を適切に飼うことはアニマルウェルフェアの取り組みで非常に重要なことです。
アニマルウェルフェアの基本原則である「5つの自由」という概念は、FAWC(イギリスの家畜福祉協議会)が畜産動物に対して提案した概念でした。その後、日本も加盟しているWOAH(国際獣疫事務局(旧OIE))がその原則を採用し、規約を作成しました。今では、畜産動物に限らず、人間の管理下にある全ての動物に対する国際的な動物福祉の指針となりました。
日本でも、2023年7月26日に農林水産省から「アニマルウェルフェアに関する新たな指針」が公表され、ますますアニマルウェルフェアへの対応が求められています。
アニマルウェルフェアの5つの自由とは
アニマルウェルフェアを実現するためには「5つの自由」“The Five Freedoms for Animal”が基本原則となります。これら「5つの自由」は、動物が生きていく上で最低限必要な条件であり、体のみならず、心も含めた動物の状態を改善するために重要なものです。また、国際的には、「5つの自由」を「5つの領域」と読み替え、各領域での“苦痛・苦悩”などのネガティブな経験を減らし、“喜び・快適”などのポジティブな経験を増やし、動物の「QOL(Quality Of Life:生活の質)」を向上しようという動きになってきています。
『5つの自由』から『5つの領域』へ
・空腹・渇きからの自由 ” Freedom from hunger and thirst” ・・・「栄養領域」
これは、動物の健康と活力を維持するために、新鮮な水と餌を提供することを意味しています。動物が生きるために最も基本的なニーズを満たすことを目指しており、長期的な健康と幸福に欠かせない要素です。
・不快からの自由 ”Freedom from discomfort”・・・「環境領域」
これは、動物に日光や雨風から避難する場所や休息場所などを含む適切な飼育環境を提供することを意味しています。動物の居住環境がストレスや不快感を最小限に抑えるよう設計されていることが求められます。
・痛み、外傷や病気からの自由 ”Freedom from pain, injury, or disease” ・・・「健康領域」
これは、動物の病気、怪我の予防および的確な診断と迅速な処置を提供することを意味しています。定期的な健康チェックなどを通じて、動物の健康が常に守られるよう努めることが求められます。
・本来の行動がとれる自由 ”Freedom to express normal behavior” ・・・「行動領域」
これは、動物に十分な空間や適切な刺激、仲間との同居を提供し、本来の習性に従った自然な行動を表現できるようにすることを意味しています。動物が本来の習性に従ってストレスなく生活するために欠かせない要素です。
・恐怖・抑圧からの自由 ”Freedom from fear and distress” ・・・「心的状態領域」
これは、動物に心理的苦悩、ストレスや恐怖を避ける状況とそのような扱いを提供することを意味しています。動物の精神的な健康を維持するために欠かせない要素です。
アニマルウェルフェアの重要性~国際社会にとって~
「国連総会決議」(2015年)
持続可能な開発目標(SDGs)の目指すべき世界像に、「人類が自然と調和し、野生動植物その他の種が保護される世界。(一部抜粋)」とあります。その他の種とは、人間の管理下にある畜産動物や愛玩動物、展示動物などであり、SDGsにもアニマルウェルフェアが含まれていることが分かります。アニマルウェルフェアを目指すことにより、動物の健康と幸福を確保し、地球全体の生態系の保護にも寄与し、自然と調和した社会の実現に向けた重要な一歩となります。
「国連環境総会」(2022年)
明確にアニマルウェルフェアが環境問題や持続的発展に対して重要であることが国際的に認められました。その内容の一部をご紹介します。
・アニマルウェルフェアが環境問題に対処し、One healthアプローチを推進し、SDGsを達成しうることを認める
・動物の健康と福祉、持続的発展、環境問題は人間の健康と幸福に繋がっていることを認める
・これらの連携を、One healthや総合的発想を通して追求することへの要請を認める
・アニマルウェルフェアを支える科学的蓄積があることを認める
このことから、アニマルウェルフェアは、人間・動物・環境にとって、国際的に重要視され、取り組むべき課題であることが分かります。
アニマルウェルフェアの重要性~人間にとって~
「食の安全性」
アニマルウェルフェアに配慮して飼育された動物の肉や卵、乳は、健康的で品質も良い食材です。その食材を食べることで、私たち人間の食事は安全に、体は健康的になっていきます。特に、動物を健康に育てることができれば、薬(特に抗生物質)の使用量が減り、大きな課題である薬剤耐性菌の発生を減らすことができます。アニマルウェルフェアに考慮した食材の選択は、人々の食を豊かにし、持続可能な食生活の実現にもつながります。
「人間同士の相互配慮」
動物への虐待行為が、人間同士の虐待行為や家庭内暴力、児童虐待、高齢者虐待など、他者に対する暴力と多面的に関係していることが多くの論文で報告されています。動物へ配慮する気持ちや倫理観は、人への配慮にもつながるため、アニマルウェルフェアを推進することで、動物の健康と幸福を守るだけでなく、人間社会全体の暴力や虐待の減少にも寄与する可能性があります。この観点からも、アニマルウェルフェアの取り組みは重要です。
「畜産動物の生産性」
先進的にアニマルウェルフェアへ取り組んでいるヨーロッパなどの各国では、アニマルウェルフェアの取り組みにより、家畜の死亡率が下がったという報告がされています。産卵鶏の死亡率について、開始当初は現在日本で主流な過密飼育であるバタリーケージ(鶏の自由な動きを制限し狭い金属ケージで飼育する方法)の方が死亡率は低いという結果でしたが、数年後にはアニマルウェルフェアに配慮したエンリッチドケージ(巣箱、止まり木、爪とぎ場などの鶏が自然な行動を可能にする設備が追加された飼育方法)や平飼い飼育の方法が洗練され、従来型ケージよりも死亡率が下がる結果となりました。畜産の生産性は、生産者の生活に直結します。他国と比較すると、日本のアニマルウェルフェア飼育データの蓄積は少なく、信じ難い結果かもしれませんが、長期的な目線で考えると、生産者にとっても有用な方法だと考えられています。
世界のアニマルウェルフェアの現状
World Animal Protection(国際的な動物福祉団体)という団体がAPI(動物保護指数)を2020年に発表しました。日本の畜産動物における福祉評価はA~Gランクのうち最低ランクのGです。これは、国の法的規制の状況や体制がどれだけ国際規約を遵守しているか、また整備されているかを客観的に調査した結果を示しています。
また、動物保護指数は畜産動物だけではなく、愛玩動物や展示動物の福祉(D評価)、WOAH(旧OIE)の動物福祉基準の遵守状況(F評価)など多岐にわたり、全体評価では日本はE評価でした。
各国における畜産動物の福祉評価(A~Gの順で遵守率が低い)
A:―
B:スウェーデン/オーストリア
C:ニュージーランド/ポーランド/デンマーク/スイス
D:フランス/イギリス/ドイツ/イタリア/スペイン/韓国/カナダ/メキシコ/ブラジル/タンザニア/
E:アメリカ/インド/フィリピン/オーストラリア/南アフリカ/コロンビア/ウクライナ/トルコ/
F:タイ/マレーシア/インドネシア/アルゼンチン/チリ/ウルグアイ/ケニヤ/ルーマニア
G:日本/中国/ロシア/エジプト//ベトナム/エチオピア/ニジェール/ナイジェリア/アルジェリア/モロッコ/ベラルーシ/
パキスタン/イラン/ミャンマー/ベネズエラ/ペルー/アゼルバイジャン
欧州連合(EU)
産卵鶏に関しては、バタリーケージ飼育が禁止され、子牛については、生後8週齢以降の単独飼育が禁止されています。妊娠豚は、繋留飼育が禁止され、受胎後4週以降から分娩予定1週前までの期間のストール飼育も禁止されています。さらに、ブロイラーの収容密度は最大で33kg/m²と法制化されていますが、特定の条件を満たす場合には規制が緩和されることもあります。ちなみに、日本におけるブロイラーの収容密度は一般的には45kg/m²です。
EUの消費者は、動物の苦痛・過密・拘束飼育の解消に関心が高く、それを受け、EUではアニマルウェルフェアへの取り組みに対して、補助金を制度化しています。また、日本の状況と比較するとEUのアニマルウェルフェアは進んでいますが、EU国内では、既にEU基準は古臭く、今日の要求にも合致しない、また、更なる進展にも寄与しないとして、2023年に欧州委員会(EC)でアニマルウェルフェア法の見直しが検討されています。
アメリカ(USA)
アメリカの畜産動物のアニマルウェルフェアは、現在、連邦法には含まれておらず、各州の州法によって法的規制が設けられています。カリフォルニア州では活発に取り組まれており、鶏のバタリーケージ飼育とその販売、妊娠豚のストール飼育とその販売、これらを禁止しています。
また、アメリカでは、民間の動きが活発であり、ハンバーガーチェーン、給食会社、スーパーマーケット、ホテル、航空会社などが自主規制を行っています。そして、生産者も養豚ハンドブックやガイドラインを作成している状況です。
中華人民共和国(中国)
世界最大の畜産国である中国では、畜産品を世界展開するためにアニマルウェルフェアへの対応を避けられないという状況です。国をあげてアニマルウェルフェアに取り組んでおり、特徴的な取り組みが多くあります。World Animal Protectionと連携し、アニマルウェルフェアに配慮したモデル養豚場を設置、2018年に中国国際標準化機構(中国ISO)によるアニマルウェルフェア規約を作成しています。また、国家家畜福祉助成金制度では、国内外問わず、アニマルウェルフェアへの研究に資金援助を実施しています。
日本のアニマルウェルフェアの現状
国の制度
オリンピックなどの国際的なイベントで食材調達が行われる際、避けては通れない課題として認識され、その度に国の法制度も推進されています。
東京オリンピック・パラリンピックでは、アニマルウェルフェアを含むJGAP制度を用いて、調達食材の認証を行いました。また、EXPO2025大阪・関西万博では、農林水産省から公表された「アニマルウェルフェアに関する新たな指針」の中の「実施が推奨される事項」が食材調達基準として定められています。このようなイベントでは、特例的に調達食材に基準が設けられますが、一般流通している畜産品に対しては、公表された指針に強制力は働きません。また、補助金制度もないため、生産者の取り組みが進まない原因と考えられています。
民間企業
日本の大手食肉会社では、独自にアニマルウェルフェアガイドラインを設け、国内全農場の妊娠豚のストール飼育廃止など、国の法整備前に取り組みを開始しています。また、大手スーパーでは、平飼い卵の販売を開始し、消費者が手に取りやすいアニマルウェルフェア商品も販売されています。アニマルウェルフェアの取り組みは、ESG投資やグローバル競争を考慮すると、必然的な対応であり、グローバルに展開している国内企業は率先してアニマルウェルフェアを進めています。
生産者
アニマルウェルフェアへ取り組む生産者は少ないですが、取り組んでいる生産者の中には、商品のブランド価値向上、企業イメージの向上、従業員の意識向上、職場環境の向上など、さまざまなメリットを見出している生産者がいます。日本では農林水産省から指針が発表されており、将来的にはアニマルウェルフェアへの取り組みが必要になることは明らかです。そのため、すでに準備を始めている生産者もいます。こうした取り組みは、生産者にとって競争力を高める一助となると考えられています。
消費者
日本の消費者におけるアニマルウェルフェアへの認知度は、EUなどのアニマルウェルフェア先進国と比べると、低いと言われています。また、動物の権利や動物愛護、動物福祉(アニマルウェルフェア)といった様々な考え方が整理されずに存在しているため、アニマルウェルフェアという考え方が正しく広がるには、まだ時間がかかると考えられています。アニマルウェルフェアの重要性が広く理解されるためには、消費者への教育や啓発が必要です。
アニマルウェルフェアが日本で遅れている理由
国の制度
「アニマルウェルフェアに関する新たな指針」は農林水産省から公表されましたが、強制力はなく、補助金も今後制度化予定のため、生産者にとって取り組みは難しい状況です。消費者の認知度向上を図るために、アニマルウェルフェア対応商品の認証マークを作成している県や団体、企業もありますが、取り組む生産者が少ないため、認証商品が消費者に届く機会は限られています。このような状況が、アニマルウェルフェアの普及の遅れを招いています。
日本の倫理観
「動物の愛護及び管理に関する法律(2019)」において、“国民の間に動物を愛護する気風を招来する”とあり、動物を愛する心を大事にするという倫理観が法律にも含まれています。犬や猫などのペットに愛する心を持つ人は多く、殺処分数の削減などの取り組みは活発に行われています。畜産動物に愛する心を持つ人は少なく、取り組みは活発ではありません。一方で、キリスト教の倫理観は、動物は人間のために存在しており、それを管理する責任が人間にあるというものです。愛する心やその対象を重視する倫理観と、人間に管理責任があるという倫理観の違いが、アニマルウェルフェアの進捗に影響しているとも言われています。
消費者と教育
消費者の需要や関心が低いこと、そしてアニマルウェルフェア教育の遅れが原因として挙げられます。消費者の需要や関心が高まれば、国の制度や生産者の取り組みに大きな影響を与えると考えられています。しかし、日本では学校教育やテレビなどのメディアでアニマルウェルフェアが取り上げられることが非常に少なく、消費者の認知や需要を増やすためには多方面からのアプローチが必要です。例えば、教育機関でアニマルウェルフェアに関する講義を取り入れ、メディアでの特集を増やすことで、一般の人々にこの概念を広めることが重要です。消費者の意識が変われば、アニマルウェルフェアに配慮した商品が増え、結果として生産者や政策にも良い影響を与えると考えられています。
研究
日本のアニマルウェルフェア研究が発展途上にあることも遅れている理由の一つです。科学的にアニマルウェルフェアが生産性、環境、人の健康などにどのように影響するか、
研究を蓄積させる必要があります。EUなどアニマルウェルフェア先進国に加え中国や韓国からも、有用な研究結果が出ていますが、日本とは国土面積や気候、飼料などに違いがあるため、日本での研究も重要です。その研究があることで、生産者や国がより一層安心して、アニマルウェルフェアを進められると考えられます。
獣医師の役割
日本の獣医師の状況、業務内容にも原因があると考えられています。海外には、アニマルウェルフェア専門の獣医師が存在します。しかしながら、日本には、アニマルウェルフェアを専門に進める獣医師はとても少ないです。理由は、畜産動物の獣医師が不足しており、アニマルウェルフェアまで手が回らないことが挙げられます。獣医師の多くは、犬猫などの小動物の獣医師を目指すことが多く、畜産動物診療分野の獣医師は全体の約10%ほどです。また、日本では、獣医師がアニマルウェルフェアを進める大きな役割を担っているという認識が乏しく、獣医師や教育機関の認識も変わっていく必要があります。
アニマルウェルフェア推進のために何が出来るのか
アニマルウェルフェアは多様な業界、人が協力してこそ推進できます。確かに、国の制度が変わることは近道ですが、その制度を変えるには、消費者や企業の力が必要です。消費者の関心が高まり、企業の取り組みが活発になれば、政治家や国は動きます。そして、現場で取り組む生産者には、研究成果や獣医師が必要です。アニマルウェルフェアという言葉は聞きなれない言葉ですが、実は毎日の食事に関係しているとても身近なこと。消費者一人一人のアニマルウェルフェアの認証が付いた商品を選択することや関心が高まることが社会を変える大きな一歩になると考えます。
今後もアニマルウェルフェアへの意識を高めよう
今回は、アニマルウェルフェアを取り巻く状況について、国際会議の内容や研究結果を参考に客観的に解説しました。アニマルウェルフェアは、動物が健康で幸福な生活を送るための基本的な条件であり、倫理的な側面だけでなく、人間の健康や環境にとっても重要な取り組みです。
アニマルウェルフェアの基本である「5つの自由」は、動物が適切な環境で生活するための最低限の条件であり、この原則に基づく取り組みは、動物福祉の向上だけでなく、食の安全性や人間社会の倫理的進展にも寄与します。
日本はアニマルウェルフェアの取り組みが他国に比べて遅れている現状があります。倫理観の違いや法制度の整備不足、消費者認知度の低さ、研究の遅れなどがその要因として挙げられます。しかし、最近では国や企業、生産者による取り組みが進展しつつあり、未来に向けての前向きな変化が期待されています。
消費者の選択や関心が、アニマルウェルフェアの推進において重要な役割を果たしており、一人一人がアニマルウェルフェアに関心を持ち、理解を深め、適切な選択をすることで、動物福祉の向上と持続可能な社会の実現に貢献することができます。今後も、各国や様々な団体と協力しながら、アニマルウェルフェアの推進に努めていくことが求められます。